熱田流の歴史ブログ
今日と歴史を結びつけて、熱田流のブログを、構成していく。
「糸川博士ペンシル・ロケット初テスト」
.. 今日は「何の日」

.. 「糸川博士ペンシル・ロケット初テスト」

.. 糸川の考えは非常に先進的であった。
.. ジェット機の開発は欧米に大きく遅れをとった。
.. しかし、まだ誰も手につけていないロケットだったらどうか。
.. ロケットを推進に使った航空機を作れば、今からでも欧米に追いつき追い越すことが可能なはずだ。

.. 糸川の働きかけもあり、それではロケットを作ろう、ということになった。
.. ロケットには液体式と固体式の二通りあるが費用の観点から固体式を採用することになった。
.. この固体燃料ロケットに富士精密が協力を申し出、燃料は日本油脂のものが使われることになった。

.. ペンシルロケットは1955年4月14日、東京・国分寺の工場跡地において糸川自身のカウントダウンの後、「水平に」発射された。
.. ペンシルロケットは幾重もの紙のついたてをつきやぶってその向うの砂地につきささった。

.. この非常に小さなロケットの発射試験に対して、糸川がメガホン片手に行ったカウントダウンは、つめかけた報道陣から嘲笑されたし、糸川に対して好意的でない学者はこれを糸川のスタンドプレーだと非難した。
.. しかし、本人はいたってまじめで、この実験が将来の本格的なロケットの打上げにつながるとの認識から、大型ロケットと同様の手順を踏んで発射試験を行ったのであった。

.. このペンシルロケットの試験場は現在は新日鉄のグラウンドになっている。

.. 国分寺の試験場は近くに国鉄の線路が走っていて、もし仮りに機体が線路や近くの人家などに落下したりしたら大事である。
.. 日本にはこのような機体の落下の気にしなくても済むような大きな砂漠などないので、海岸から打上げることになる。
.. 海岸といっても、海に機体が落下した場合、漁業に影響する可能性もあるので、魚があまりとれない場所である必要があった。

.. 様々な調整や調査の末、射場は秋田県の道川海岸に決定された。

.. 道川におけるペンシルロケットの最初の打上げ実験は1955年の8月6日のことであった。
.. このときのペンシルは全長300ミリメートルのペンシル300。
糸川による秒読みが進み、いざ発射という段になって、居合せた人々は肝を冷した。
.. ランチャーから斜め上に上昇するはずだったペンシルロケットは、砂場にころげ落ちてねずみ花火のようにころげ回ったのだ。
.. これはランチャーに機体を固定する方法がまずかったためだという。
.. 急拠機体の固定方法が変更され、15時32分、再度試験を実施し、打上げは成功した。
.. 到達高度600メートル、水平到達距離700メートル、飛翔時間16.8秒だった。

「宇宙船アポロ13号で爆発事故発生」
.. 今日は「何の日」

.. 宇宙船アポロ13号で爆発事故発生。

.. アポロ13号は、1970年4月11日19:13:00、ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
.. 月に向かう途中、地球から321,860kmの地点で、4月14日03:07:53、司令船の液化酸素タンクNo.2の爆発事故が発生した。

.. 宇宙船に搭載する酸素は、乗員の呼吸に必要なだけでなく、燃料電池に用いられるエネルギー源(コンピュータ、暖房などの電源)であり、その結果として水も生み出す重要物資である。
.. 酸素の喪失は、ミッションの継続を不可能とさせたばかりか、乗員の生命を危機にさらす結果となった。

.. このため、司令船とは独立した電源などを持つ月着陸船を「救命ボート」代わりに利用したほか、極力電力を節約するため船内気温を生命の維持に必要な最低レベルにまで落とすなど、飛行士たちの奮闘と地上管制官たちの支援によって“奇跡の生還”を果たした。

.. 噴射には危険が伴うため、月の引力を利用してスイングバイによるターンを行った。
.. このとき、地球から最大40万171km離れ、月には254.3kmまで接近した。

.. 大気圏突入時には通信が不可能となるが、通常よりも通信途絶時間が長かった。
.. これは、大気圏突入角度が浅かったためと指摘されている。

.. 4月17日18:07:41、南太平洋上、西経165度22分・南緯21度38分の地点に着水している。
.. 飛行士達はヘリ搭載型強襲揚陸艦イオー・ジマ搭載のヘリコプターにより回収された。

.. 後の再現実験などの検証により、宇宙船製造時に液体酸素タンク内に設置されていたヒーターの部品の規格を間違えたため、起動時のショートによって火災が発生、酸素タンクNo2が爆発し、2基の酸素タンク、水素タンクを含むセクタ4が吹き飛んだものと考えられるようになった。

.. この事故は後に“輝かしい失敗”と呼ばれるようになった。

.. 立花隆は「米国の科学技術の底力は、11号の月面到達よりも、13号の事故に対する対処の仕方によって証明された」としている。

.. 月着陸はこのとき3回目で、視聴者の関心も低くなり、全米3大ネットワーク局も実況中継を行わなかったところもあったが、事故が起きて再び全世界の注目を浴びるという皮肉な結果となった。

.. NASAのスタッフの多くは「給料に見合う仕事をしたのは、11号を月面着陸させたより、13号を地球へ帰還させた事だ」と語り継がれている。




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